イスラム

2019年09月11日

Ashura(アシュラ)の日

イスラムのカレンダー「ヒジュラ暦」の1月10日は「アシュラ」と呼ばれる特別な日。
「アシュラ」はアラビア語で「10」。新年10日目のこと。

あ、イスラム暦では西暦2019年9月1日に1441年になりました。
新年おめでとうございます。

でもモロッコではあまり関係ないみたい。
イスラム新年(1月1日)は祝日だけど、特にイベントはなかった。
モロッコでは「アシュラ」もあまり重要ではなくて、祝日でもない。

しかしシーア派のイスラム国にとって「アシュラ」は重要な日らしい。
血だらけになる激しい儀式もあるとの噂。
他にも、断食したり、子どもたちはプレゼントを貰ったり、様々な行事があるあらしい。モロッコも田舎へ行くと祭や儀式が残っている村もあるらしい。しかし、首都ラバトでは特にイベントはなさそう。

ただ、ここ数日は爆竹がうるさい。
子どもたちが爆竹で遊ぶのを許される。
それがモロッコの「アシュラ」。

街を歩いていると突然、パンッ!
寝ている時も深夜に、パンッ!パンッ!
大抵は不良っぽい学生が爆竹で遊んでる。

公式に爆竹で遊べる日。
それがアシュラ。

うるさくて迷惑だけど、
シーア派の国で行われている激しい祭や儀式に比べたら、とてもとても可愛い文化です。


marocoba at 01:06|PermalinkComments(0)

2019年08月17日

羊犠牲祭(屠殺編)_閲覧注意?

日本では屠殺を見る機会は少ない。
モロッコでは鶏はその場で絞めてもらうことが多い。

犠牲祭はイスラム教ではとても大切な行事。
モロッコの犠牲祭では、家族全員が見守る中で羊を屠る。

日本人はショックを受ける人も多いでしょう。
残酷だと思う人も多いかもしれない。
協力隊員でも鶏を締めれない人もいる。

でも、犠牲祭はとても良い風習だと思う。
命を頂戴することに感謝する機会。
羊の屠り方だけでなく、肉を食べる有難さ、命を尊重する気持ちを父が子供達に教える。

近年、日本では精製された肉しか売っていない。
そのため「食材の肉」と「屠られた命」が結びつきずらく、命の有難味を感じにくい。
毎日、沢山の命が犠牲となり、食卓を潤している。
日本にいると、つい忘れがちになる。

早朝、親戚の男達と手伝いの肉屋が、羊肉に精製していく。
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写真の下は皮と肉の間に空気を入れて、皮をはぎやすくしているところ。
自転車タイヤのペダルで空気を入れていく。風船みたいにパンパンに丸くなる。
解体は簡単ではなさそう。いろいろな技術があって感心する。

羊は食べられる部分は残さず食べる。
初日の昼食は腐りやすい内臓から。
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心臓・胃・腸。
新鮮でとても美味しい。
この鮮度は、なかなか日本では味わえない。


頭と角の部分は、貧しい人にあげてる人もいた。
毛皮の部分は業者が引き取っているのも見た。
でも、残念なことに普通に捨てている人もいた。
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モロッコ人にとって犠牲祭の光景は見慣れ過ぎて、食育としての効果が薄くなっている気がする。
羊肉は淡々と精製され、子供達も特にリアクションしない。
それはそれで問題な気もする。

毎日たくさんの命を頂いているのだから、個人的には屠殺映像を「閲覧注意」と言いたくない。
日々の糧の感謝のために、目を背けず見て欲しいと思う。

犠牲祭の屠殺は、コーランが書かれた1400年前当時に考えられていた苦痛を与えない方法らしい。
でも現代はもっと苦痛を与えない方法があると思うけどね。

時代の流れに対応しにくく融通が利かない感じが、近年の宗教離れの原因かもね。
日本もだけど、モロッコも若者の宗教離れが見られる。
宗教が無くなると、食事に感謝を捧げる良い習慣も薄れていく気がする。

羊犠牲祭の屠殺の映像です。
自己責任でご覧ください。
日々の糧の感謝を忘れないために。


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2019年08月14日

羊犠牲祭(準備編)

犠牲祭。イード・アル・アドハ。
イスラム教の大切な行事。
日本の正月みたいなものだろうか。

この日、多くのモロッコ人は実家に帰省。
犠牲祭直前は帰省ラッシュで交通網が混雑。

犠牲祭初日の朝。
羊を屠り、それを数日かけて親戚と食べる。
モロッコでは羊が一般的だけど、土地によって屠る動物は異なる。

羊1匹は約2~3000dh(約3万円前後)。
決して安い買い物ではないので購入は慎重。
2ケ月前から牧場に通い、目利きをして予約する人もいる。

ショッピングモール「マルジャン」でも羊の臨時販売。
大型店ではローンで購入できるので、低所得者にも人気。
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家庭によってはお金が無くて羊を買うことができない。
その場合は、肉屋で解体済みの肉を買って食べる。

購入した羊は犠牲祭の数日前に配送される。
車に積まれ、リアカーに積まれ、人に担がれて羊が運ばれる。
逃げたり抵抗する羊と奮闘する人達。
ベンツのトランクにも羊。
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とてもシュールな雰囲気。

犠牲祭までの数日間、各家庭の屋上や玄関先で羊を飼う。
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街中が羊の匂いと鳴き声。

路上で羊のエサを売る人も増える。
炭屋さん、包丁研ぎ屋、桶屋やビニール袋など、羊の解体に必要なグッズが路上で売られる。
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犠牲祭ムードが高まってくる。

犠牲祭の肉屋は大忙し。
早朝から羊の解体手伝いのために各家庭を走り回り、
夜は深夜まで肉を買いに来る人に販売。
※ちなみに肉屋に解体してもらう手数料は約100dh/体らしい。

犠牲祭中は、ほとんどの店が閉まってしまうが、
肉屋だけは営業している。羊しか売ってないけど。
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深夜23時でも大盛況の肉屋。
まさに稼ぎ時。お疲れ様です。




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2019年06月05日

ラマダン月が終わります

よく間違えられるけど、
ラマダン=断食ではなく、
ラマダンは月の名前で9月の事。

この月はサウム(断食)をする。
サウムは「断食」と訳されるけど、
昼間の飲食を控えることであって、
日没後は食べる。無制限に。沢山。

空腹は、そんなに辛くない。
飲み物は結構しんどい時もある。
トイレでこっそり水を飲む人を2回くらい見たことある。

イスラムの暦(ヒジュラ)は、グレゴリオ暦より11日だけ短い。
だから年によって季節が違う。
季節が違えば難易度も違う。
夏は夜も短いし、のどが渇くので辛いらしい。

でも健康が優先だから、
体調が悪くなったり病人や妊婦は水分補給する。
子供もサウムを始めるのは12歳くらいから。

ラマダン中は生活時間が変わる。
日没と同時(19時くらい)に朝食(フトール)を食べ、
2時~3時くらいに最後の食事。

日の出まで飲食可能というわけではなく、
今年は3時半くらいが最後の食事。
この最後の食事は「スホール」と呼ばれ、
2時~3時くらいにモスクが大音量で合図の放送を流す。

学校も職場も昼休憩が無いので1時間早く帰宅。
毎日、夜が遅いので、
夕飯までの間は昼寝する人も多い。

ラマダン中は家族との時間を大切にする月。
早く帰宅して深夜まで家族と過ごす。

ラマダン中の挨拶は、
「ラマダーン・ムバラク!」
「ラマダーン・カリーム!」
という。

断食=辛い、ではなく、
日没後に3食しっかり食べる。
パーティ感覚で皆でワイワイするのが楽しく、
ラマダンが来るのを毎年楽しみにしている。
今年も友人たちと砂浜でフトール会を楽しんだ。
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でも酒の提供は一切無い。
ラマダン中、酒屋は閉まる。

フトールはメニューが決まっていて、
オレンジジュース、牛乳、ミントティ、
各種パン、ゆで卵、ハリラ、
シバキヤ(かりんとう)。
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日没後は飲食店の店員さんも働きながら食べる。
マクドナルドの定員も食べながら働いてる。
ガードマンも警察も軍隊も、街角でモグモグ。

ラマダン中は、モスクが混雑。
お祈りする人が増える。
モスクの外にまで特設お祈り会場ができる。

子供も年寄りも深夜2時くらいまで外を歩いて散歩。
最後の食事のために歩いて腹を空かせる。

カフェやレストランは、日没から開店して深夜まで営業する。
街は賑やかで騒音が凄い。
道路工事や建築は深夜から始まる。
日中の肉体労働は喉が渇くからねー。

外国人だから断食しないつもりでも、
学校・職場の昼休は無いし、深夜の騒音などで生活リズムは変わる。

日没前後は、多くの人がテーブルの前で朝食の待機。
普段は交通量が排気ガス臭いラバトも、街から人が消える。
この時間にジョギングするのが楽しい。
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障害物の何もない、車道も気にせず走れる。

トラムもバスもタクシーも走らないので交通手段が無くなる。
賑やかな繁華街から人は消えて、ネコだけの世界。
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ラマダンが終わると祭日(イード)が2日間ある。
イード中の挨拶は
「イード・サイード!」
「イード・ムバラク!」
「イード・サイード・ムバラク!」
などなど。


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2019年03月13日

宗教の話④~宗教の悪用~

これまで3回に渡って、つまらない宗教の話をしてきた。
安心してください。今回が最後。

日本で宗教のイメージを悪くしているのは、
金儲け主義の新興宗教だと思う。

弱い人を騙したり洗脳とかで献金させたり、
強引な勧誘で信者を増やしたり。
すべて金儲けが目的のシステム。

これまで説明してきた、
マナーや道徳を学ぶための社会教育の場、
情報や介助のためのコミュニティの場として機能していない、
宗教としては存在価値の低い、金儲け主義の宗教法人。

本人が対価を得ていると思っているなら良いというモノではない。
他人を巻き込む事態になるのは最悪だ。
むしろ宗教は社会貢献や社会還元に寄与すべき存在。

モロッコで気になる事といえば「物乞い」である。
イスラム教には、貧しい人には寄付をするべき(喜捨:ザカート)という教えがある。

それの何が気になるって、
喜捨を得る目的で働かない人が多い、ということ。

子供も大人も、キレイな格好の人や外国人を見ると
「お金ちょーだい」って言う。スグ言う。

本当にスグ言う。大人も子供も老人も。
目が合えば「1DHちょーだい」って言う。

貰って当たり前だと思っている。
「ありがとう」も言わない。

何かしている人は、まだ良い。
コーラン読んだり、道路掃除していたり、
障害者だったり、子供が沢山いるため物乞いしている人も多い。
靴磨きだったり、ティッシュ交換もいる。
※物乞いと物売りの境目は非常に曖昧。

何もしてないのに「ちょーだい」って人、まじで何なの?
サッカーしている子供が大声で「ちょーだい」。
道ですれ違ったオバちゃんが「ちょーだい」。


それから「ことわざ」を「言い訳」に使う人も気になる。

「全ては神様が決めたことだから仕方ない」
それは失敗した相手を励ますために使う言葉であって、
自分が失敗した時に、言い訳に使う言葉ではないと思う。

「今が大切」
これも、過去を悔んだり明日の心配をしている人に言う言葉。
考えるのが面倒くさい時や、準備不足の時に使う言葉ではないと思うよ。


marocoba at 14:28|PermalinkComments(0)